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雛祭り?

こんにちは!

医療法人社団愛正会 新秋津・秋津駅前まつばら歯科

歯科助手兼受付の今村です。

 

お日様?の滞在時間が徐々に長くなり、明るい夕方帰宅時間を迎えられることに喜びを感じる昨今の私です(*^^*)身を刺すような北風の登場機会も少しずつ減ってきたように思います♪春はもうすぐ?!でしょうか。

 

 

梅の花が咲きほころび、次は桃の花の季節の到来。間も無く女の子には欠かせない行事、ひな祭りですね?

ひな祭りは桃の節句と言われ、女の子の健やかな成長をお祈りするお祝い事。

 

いつから始まったのか、どうして始まったのかなどの由来について調べてみたところ、いくつもの説があるようです。

 

中国から伝わった習わしとする説や、室町時代、紙で作った人形〔ひとがた〕で体をなでて穢れ(けがれ)を移し、川海に流すことで無病息災を祈った「流し雛」という風習と遊び事であった「雛あそび」が融合し、貴族の間で人形を飾り、祀るようになったという説などがありました。

 

史実として語られている中には、寛永三年(1626年)に、二代将軍徳川秀忠の娘和子が江戸から京都の後水尾天皇に嫁ぐ時の宮中へのみやげに、御雛道具があったのだそうです。

そのことから、既にこの頃には、江戸ではひな祭りが行われていたこと、まだまだ一部の貴族に限られていたようですが、花嫁道具の1つとしてひな人形を持っていっていたこともわかります。その後、芝居や物語を通して、一般の人々も王朝文化や宮廷生活を知ることとなり、「ひな祭り」が、華やかな行事として武家や町民にも定着していったのです。(個人的には史実や日本文化を深く感じられる雅叙園さんの「百段ひな祭り」を毎年楽しみにさせていただいております♪)

 

そのひな祭りには欠かせないひな人形のメンバー「三人官女」は宮中に仕える女官をあらわしており、その内1人のみお歯黒、眉無しです。この歯を黒く染め、眉を剃るという状態は既婚、または年長という意味があるのだとか。そのため、雛人形は「お姫様」だけでなく「お殿様」もお歯黒になっています。さらにこのお歯黒には虫歯予防の効果もあったと言われています。

字通り、歯を黒く染める風習ですが、別名「鉄漿(かね)」「はぐろめ」「歯黒」「涅歯(でっし、ねっし)」とも呼ばれ化粧品の一種で、時代の風俗によって歯を黒く染める鉄の溶液や、またそれを使用して歯を染めること、あるいは、染めた歯を示すようです。主に五倍子(ふし:天然染料)に鉄分を加えた汁で歯を染めるのですが、虫歯ができにくく、非常に丈夫な歯となるようです。

さてかつては男子もしていたと言われるお歯黒=鉄漿(おはぐろ)ですが、明治初期まで長い歴史を経て続いていた女性の習慣でした。

そしてその作業過程である緻密なエナメル質を黒く染めるのはなかなか骨の折れる仕事でした。そこで、庶民に広がってからは、女性によって人生の大転換期である婚約・結婚を迎えてはじめて染める風趣となり、ついには既婚女性の象徴となりました。黒は何色にも染まらない色なので、貞操を意味し、既婚女性の誇り高い心の支えともなっていたようです。

 

お歯黒の風習は、明治政府の近代化政策により、チョンマゲや帯刀とともに禁止されたので、しだいになくなっていきました。そして、大正時代にはほぼ全国からお歯黒の風習はなくなりました。

現代では考えられないことですが、この時代の人たちは、黒く光る歯をたいへん美しいものとしてとらえていたと思われます。(実は歯だけではなく黒く光る長髪も美貌の条件の1つだったのです(^^♪黒く光り輝くものは日本古来から貴重且つ『美』の基なのでしょうね)光の少ない昔の部屋の中では、黒い歯はしっとりとした雰囲気があり、口をほとんどあけないしゃべり方をしていたといわれる当時では、もっとも優雅な口もとに見えたのかもしれません。

明治六年三月三日に、時の皇后がお歯黒をとりやめ、それにならって日本の女性の間でも、お歯黒のしきたりは全くなくなりました。

 

歯?への関心や美意識は昔からの日本人特有のものなのかもしれませんね♪

新秋津・秋津駅前 まつばら歯科|怖くない・優しい 歯医者

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